I&には高田衛がいる。
I&のストーリーに興味を持っていただきありがとうございます!
I&は、2021年1月8日に代表の高田衛が立ち上げたベンチャー企業です。
なので、まずは自己紹介がてら、どのようなキャリアを経て今に至るのか、経歴だけでなく当時考えていたことまで書きたいと思います。
ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
高田衛の経歴一覧
1994 横浜生まれ
2007~2013 慶應義塾湘南藤沢中・高等部 ※テニスをはじめる
2013~2017 慶應義塾大学環境情報学部 ※テニスコーチ・IT関連事業をはじめる
2017~2021 有限会社レニックスと業務委託契約を結ぶ
2019~ I&V株式会社を立ち上げ、取締役に就任する
2021~ I&株式会社を立ち上げ、代表取締役社長に就任する
2021~ 有限会社レニックスの取締役社長に就任する
現在、アイアンド株式会社・I&V株式会社・有限会社レニックスの3社の経営役員として働いています。
なぜ僕は最初のキャリアにテニスコーチを選んだのか?
この問いに対しては「テニスコーチになることが自分を最も生かす道だと思ったから」という答えが一番しっくりくると思います。
もちろん、「テニスを通じて更なる高みに立ってみたいから」というのも理由の1つです。
調べたことはありませんが、慶應大学卒のテニスコーチって多分片手で数えられるくらいしかいません。しかも、その中で18歳からコーチングを始め、20代前半で指導者として全国大会を経験している人はあまり聞いたことがありません。
だから、僕にとって「テニスコーチになる」という選択は、自分を「唯一の存在にする」ことと同意だったのです。
慶應大学卒の銀行員、慶應大学卒の商社マンはたくさんいます。
だから、そこには熾烈な競争が生まれます。その環境で唯一の存在になるのはとても大変なことです。
僕は勉強やテニスのようなメジャーな競争では1番になることができなかった「普通」の人です。
だから、そのような環境に入って真っ当に勝負を挑んでも、僕は多分生き残ることは出来ません。
持って生まれたものがないのだから、とにかく試行錯誤を繰り返して工夫するしか生きる道はないと思うのです。
と、このような考えを具現化したのが「テニスコーチの僕」なのです。
なぜ人差し指一本でタイピングしていた素人がIT事業を起こしたのか?
僕の大学生活は1・2年生と3・4年生で大きく分けられます。
大学1・2年生の僕は母校のテニス部のコーチに没頭しました。
「一度も全国大会に行ったことのない学校がどうすれば全国上位常連校に勝てるのか?」ということだけを考えて、常に行動していました。
無事に結果が出たこともあり、成し遂げたいことややりたいことに没頭することは人間にとって本当に幸せなことだと実感した2年間になりました。
しかし、大学2年生の終わりに差し掛かり、
「やりたいことを追いかけ続けて経済的に不安定になる。」のか、
「経済的に安定するためにやりたいことにある程度折り合いをつける。」のか、
という現実的な二択で悩むようになりました。
悩みに悩んだ結果…。
僕が出した結論は「そんな二択に縛られることなくやりたいことをしながらきちんとお金を稼げばいいじゃん!」という突拍子のないものでした。
この発想にならなければ今の自分はなかったでしょう。
当時は純粋にジュニア世代のテニスコーチを続けたいと考えていました。
しかし、既存のテニススクールの仕組みの中でテニスコーチの仕事をしてもお金を稼ぐのは難しいということがわかっていたので、大学在学中の残り2年間で時間や場所に縛られない仕事を軌道に乗せてきちんとお金を稼げる仕組みを作ろうと考えるようになりました。
大学3年生になった僕は「時間や場所に囚われずにお金を稼ぐためにはどうすればいいのか?」という漠然とした問いに対して、「インターネットを使えば何かできるのではないか!?」という根拠のない仮説を持っていました。
こんなお粗末な仮説を立てた僕は、インターネットを使ったビジネスで成功している人を探していきなり連絡を取ることにしました。
そして、今ではその人とインターネットのこれからについて語り合えるほどの仲になりました。
正直、これは運としか言いようがありませんが、「この現状をどうにかしたい!」という思いが引き寄せた出会いだと思います。
その後、卒業までの2年間は、インターネットとこれまでの経験や知識を融合して事業を進めることになりました。
大学卒業後は本格的にテニス事業へ参画
大学卒業後は、もともと通っていたテニスクラブの恩師とも言えるコーチから声をかけて頂き、これまでのIT事業を継続しながらテニス事業に本格的に参入することになりました。
まず最初の大仕事は「テニスクラブのホームページの再構築」でした。
素晴らしい指導力を持ったコーチ、神奈川県最大級を誇る規模、トレーニングルームや大浴場など充実した施設があるにもかかわらず、それを広めることができていませんでした。
僕はそこに課題があることをオーナーやコーチに伝え、無料で勝手にホームページを作り替えました。笑
その後もさまざまな施策に取り組み、テニススクール事業やレンタルコート事業などが成長軌道に乗り、業績がV字回復していきました。
また、テニスコーチ業務・バックオフィス業務を一手に引き受けることで、テニスビジネスの全体感を掴むことができました。
そして、2019年にテニススクール事業がある程度アッパーを迎えたところで、これまで個人事業主として契約していたテニスコーチをまとめるために、テニススクール運営会社としてI&V株式会社を立ち上げ、取締役に就任しました。
伝統ある民間テニスクラブを絶やさぬために
その後、2021年4月にテニスクラブ本体である有限会社レニックスの取締役社長に就任しました。
近年、民間テニスクラブという事業形態は様々な理由で縮小や廃業を迫られています。
同じ神奈川県内でもここ数年でいくつものテニスクラブが廃業しています。
もう民間テニスクラブは「テニス好きお金持ち個人オーナー」の道楽としてしか成り立たない…
そのように言われることもあります。
確かに、成長産業ではありません。IT分野の事業と比較すると圧倒的です。
ただ、僕はその業界が拡大していようが縮小していようが、1店舗の業績には関係がないと考えています。
いくら「景気が悪い」って散々言われていても、多くの人の生活があまり変わらないのと同じです。
厳しい言い方をすれば、「テニスクラブは斜陽産業だから経営が苦しいんだ…」なんていうのは、ただの言い訳に過ぎないということです。
もちろん、現実的には厳しい側面も多々ありますが、その制約のなかで”やるべきこと”をやりきれば、必ずこれからの時代にマッチするテニスクラブのあり方が見えてくると僕は思うのです。
アイアンド株式会社は人の可能性を拡げる場
実は、アイアンド株式会社が僕にとって初めての100%持株会社になります。
自分の可能性がどこまで広がるのか挑戦してみたい。
それがこの会社を起こそうと思った、僕自身の素直な感情です。
だから、これから一緒に働く仲間も自分の可能性にワクワクしながら、「何者かになる」ことを目指して欲しいと思っています。
これからの時代がどのように変わっていくのか。
そこにフォーカスしてI&のビジョンやミッションを考え抜きました。
仲間と共に見たことのない新たな景色を見にいく。
I&は、僕にとって大きな挑戦なのです。