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新卒からスマートホームプロ集団団長への道のり -「英語力 x IT」がキーポイント

スマートホームのプロ集団X-HEMISTRYの創業から5周年という節目を迎えたこともあるので、僕が新卒からどのようなキャリアを経て、スマートホーム業界にどっぷりと係わるようになったかを振り返りつつ、X-HEMISTRYの創業ストーリーを記してみたい。

目次

  • ステージ1 : IT業界/通信業界への関わり

  • ライフステージ2 : IT業界からの逃亡、そしてバイリンガルIT人材への転身

  • ライフステージ3 : スマートホーム人生の始まり

  • ライフステージ4 : X-HEMISTRYの船出

ステージ1 : IT業界/通信業界への関わり

1996年に新卒で当時外資系だったIntuit Japan(現:弥生株式会社)に入社し、コールセンターで販売管理、仕入管理、在庫管理ソフトウェアのサポート業務からキャリアをスタートした。入社当初、コールセンター業務は希望していた職種ではなかったが、社内のシステム管理や開発業務への異動を希望し、念願だったソフトウェアエンジニアとしてのキャリアをスタートさせることができた。

その後、とある縁を通じて、@NetHome Japan(現:JCOM株式会社)に入社し、ここから通信サービスに関わることになった。このケーブルテレビ業界への転職がなければ、今のスマートホームにどっぷり浸かったキャリアには決してたどり着けなかっただろう。@NetHomeでは、現在の会社の共同創業者である眞田真と出会った。驚かれることが多いが、眞田とは生年月日が全く同じであり未だに一緒に働いているため、まさに運命共同体のような感じだ。

現在はJ:COMに吸収されているが、当時飛び込んだ@NetHomeは住友商事、J:COM、そしてシリコンバレーのExcite@Homeが設立したIT系のジョイントベンチャーだった。幸運にもスタートアップメンバーとして参画することができ、今では当たり前の高速インターネットサービスの立ち上げに関わることができた。シリコンバレーの本社からは定期的に大量のスタッフが送り込まれ、社内は英語が飛び交う環境だった。前職も外資系ではあったが、自分のポジションでは英語を使う機会がほとんどなかったため、通信技術も学びながら英語もあまり理解できないという状況だったので、劣等感を抱きながらも自分の役割を見つけようと努力した。頼まれていないことにも積極的に取り組むことで少しずつ信頼を得て、インターネット事業の立ち上げや関連サービスの開発を進めていった。

その後、テレビがアナログからデジタルへ移行する時代を迎え、役割は小さかったものの、テレビのデジタル化プロジェクトにも参加した。当時、J:COMは投資対効果が見込めないこのプロジェクトに対して消極的で、周囲からは「負け戦」と見なされていた。しかし、新しいことに挑戦したいという思いでこのプロジェクトに飛び込み、眞田と共に役割を全うした。

その姿勢を見ていたJ:COMから、眞田と共に固定電話のデジタル化を推進するプロジェクトに抜擢された。当時、システム開発チームのリーダーを務めており、固定電話をVoIPで実現するという挑戦においても大きな役割を果たした。不安定なインターネット回線を利用して安定した音声通信を提供することがマストな固定電話を提供するというアイデアは、多くの人が冷笑していたが、難易度の高いプロジェクトこそ成長の機会だと考え、周囲の反対を押し切って推進した。

VoIP技術による固定電話サービスはすでにアメリカで導入されていたため、その動向を把握し、海外企業とのパートナーシップを通じて日本でも利用できる仕組みを構築した。しかし、海外の技術をローカライズしながら導入するのは決して簡単ではなく、毎日のように問題が発生したが、なんとかサービス開始にこぎつけた。

@NetHomeで培った、海外から学び、海外企業と提携して新規事業を立ち上げるスキルは現在でも役立っているが、英語については聞き取れるものの、話すことにはまだ苦労していた段階だった。


ライフステージ2 : IT業界からの逃亡、そしてバイリンガルIT人材への転身

@NetHomeに入った当初は、ITスキルもそれほど高くなく、いわば「なんちゃってエンジニア」的なキャリアスタートだった。しかし、がむしゃらに事業の立ち上げをこなしながらシステム開発をリードしてきた経験が、自分を大きく成長させてくれた。しかし、朝から晩まで馬車馬のように働く、いわば今で言う「超絶ブラック」な7年間を過ごしていたため、心身ともに疲弊していた。当時「35歳ITエンジニア限界説」という都市伝説もあり、35歳で新天地に転職しようという密かな目標を持ちながら、チームビルディングを進めつつ、周囲への影響を最小限に抑えるよう後半の2年間を過ごしていた。

そして、満を持して初めての転職活動を開始した。結果的に、応募したほとんどの企業からオファーをもらうという、いわゆる「イケイケ」なSEに成り上がっていた。成長著しいAmazon Japanなど、当時注目されていたIT企業からもオファーを受けたが、最終的には日本の製造業ベンチャーで情報システム部門の立ち上げを任されるポジションに飛び込んだ。当時、これで少し楽に働けるかと思ったものの、IT業界で培った魂が次第にうずき始めた。

そんな折、J:COMで協業していたカナダの企業Sigma Systems(現:Hanse Technologies)で勤めていた友人からヘッドハンティングされ、日本法人もない同社に無謀にも飛び込むことになった。サラリーマンを辞め、個人事業主として契約社員の道を選ぶという決断だったが、英語力を高める絶好の機会だと思い、挑戦することにした。@NetHome時代、外資系出身の同僚たちを見て、「ITスキル × 英語力」がこれからのデジタル時代に必要なスキルだと感じ取っていたからだ。

カナダの企業で日本法人がないということは、当然オフィスもなく、今では普通となった在宅リモート勤務が始まった。余談だが、Sigma Systemsでの約4年間のリモート勤務経験があったため、COVID-19の到来時にも全く動じることなく、効率よく働く術をすでに心得ていた。

当時、リモート勤務は珍しく、周囲の目も厳しかったが、Day1から英語漬けの環境で、しかも孤独だったため、当初の数ヶ月は泣きたくなるほどの環境だった。本社はトロントにあり、時差も大きく、日本では営業活動をしながら、英文メールのやり取りや資料の翻訳(英日・日英)をこなしていった。こうして日々の業務をこなすうちに、自然と英語力が向上していった。韓国、中国、インドの拠点やトロント本社との電話会議もあったが、当時の通信環境は今ほど良くなく、音声品質も悪いため、聞き取れないことが多かった。それでも慣れの力で、次第に英語でのコミュニケーション能力が向上していった。

そんな中、見よう見まねでの営業活動ではあったが、ようやく大型案件を受注した。契約条件のひとつが「日本法人があること」だったため、日本法人の設立に関わり、気がつけば日本法人の代表取締役というポジションを任されていた。ただし、実質的には本社のスタッフとしての役割だったため、名刺にその肩書きを使うことはなく、淡々とプロジェクトを推進していった。

ところがこのプロジェクトは非常に難易度が高く、中国、インド、ポルトガル、カナダ(東海岸・西海岸)、そして日本の時差6つを跨ぐ進行だったため、早朝から夜遅くまで働き続けなければならなかった。1年以上続いたこの過酷なプロジェクトで、飲み会には一度も参加できず、運動もする時間もなかったにもかかわらず気づけば体重が7キロも減っていた。

システム開発プロジェクトはどんなプロジェクトでも普通に火が噴くのが通例だが、グローバルで回していたプロジェクトでもあったので、日々大炎上する中、海外チームとクライアントの間でプロジェクトを全力で板挟みでなんとか完遂させることができた。

システム開発プロジェクトは通常でも火が噴くものだが、このグローバルプロジェクトはさらに厳しかった。日々大炎上する中で、海外チームとクライアントの板挟みになりながらも、なんとか完遂することができた。

その働きぶりを見たクライアント側の役員に気に入られ、東急グループのケーブルテレビ事業者であるイッツ・コミュニケーションズに半ば強引に(笑)引き抜かれることとなった。外資系の少数精鋭の環境での激務に疲弊していたこともあり、普通の生活に戻りたいという気持ちが強まり、転籍を決意した。

イッツ・コミュニケーションズでは、海外企業との協業プロジェクトを牽引するというオファーを受けた。しかし、海外企業とのシステム開発プロジェクトは、もはやお約束のように炎上続きで、火消しのためにスペイン、ポルトガル、カナダ、インド、日本を行き来しながらプロジェクトを進行させることになった。

ライフステージ3 : スマートホーム人生の始まり

そんな中、アメリカに出張していた盟友の眞田(注:眞田とは、実はこれまでの企業をすべて一緒に歩んできた同僚である 笑)が「アメリカではスマートホームというサービスが始まっている」というレポートを持ち帰ってきた。ある日、突然AT&Tとの電話会議に呼ばれたのだが、当時はそれどころではなかったため、何度か相談を受けたり電話会議に参加させられたものの、適当にあしらっていた。

ところが、ある日「シリコンバレーに一緒に行ってくれないか」という打診がやってきた。正直、面倒だと思いながらも、忘れもしない2013年9月5日、シリコンバレーに降り立ち、スマートホームのプラットフォームを開発しているiControl Networks(後にComcastに買収)を初めて訪問した。この瞬間が、今のキャリアに繋がるとは当時は全く想像していなかった。

最初の印象は、「なるほど、これがIoTか。面白いけど、ビジネスとしてマネタイズするのは無理ゲーでしょ」というものだった。当時見た仕組みは、スマホアプリでセンサーやネットワークカメラを操作できるだけのホームセキュリティに少し毛が生えた程度のもので、スマホで家の情報を把握できる面白さはあったものの、日本でこのようなホームセキュリティが流行るとは到底思えなかった。需要もそれほど高くないだろうし、ビジネスとして成功させるのは難しい、と感じていた。

当時、アメリカの量販店でもほとんどスマートホーム製品を見ることができず、アメリカ国内でもこの分野は苦戦しているようだった。しかし、10年という年月の力は恐ろしいもので、その後スマートロックが誕生したり、スマートホーム技術の急速な進化により、次第にその魅力に引き込まれていき、今ではすっかりスマートホームを絶賛する人間に様変わりしてしまった。

スマートホームのカオスマップはスマートホームのプロ集団X-HEMISTRYの引き出しの一端であり想いが詰まっている|新貝文将
スマートホームプロ集団X-HEMISTRY代表の新貝です。 昨年(2023年)、Japan Build OsakaとTokyo共にリビングテック協会の長島さんと共に登壇し、スマートホームのカオスマップ第一弾を参照しながらスマートホームトレンドについて語らせてもらった。 ...
https://note.com/fumi_shingai/n/ne1cecfb39aeb


そんな初のスマートホーム出張から戻ると、絶賛炎上中のシステム開発プロジェクトに再び取り組むことになった。しかし、その後も月に一度くらいのペースで、スマートホーム関連企業や市場調査のためにアメリカへ行くことになった。当時はプロジェクトメンバーから「リーダーなのに何をしに行っているんだ」と非難される一方で、スマートホーム検討チームからも「もっと本腰を入れてくれないのか」と言われ、板挟みの状態が1年ほど続いた。しかし、スマートホーム事業は社長の肝いりプロジェクトでもあったため、気づけば専任として事業立ち上げを牽引する立場になっていた。

海外での市場調査や関連企業との交渉を1年続けた後、2014年9月5日、ちょうどシリコンバレーに降り立った日から1年後に、iControl Networksとの契約が正式に調印された。そして翌2015年2月、日本初のスマートホームサービス「intelligent HOME」を開始した。当時、「IoT」という言葉はまだ日本ではほとんど知られておらず、家庭のスマート化といえば主にエネルギー管理を目的とした「スマートハウス」が主流だった(とはいえ、その市場も大して盛り上がってはいなかったが)。しかし、契約調印後には日経新聞の2014年10月21日朝刊一面に大々的に取り上げられるなど、大きな話題を呼んだ。

その後もスマートホームの珍しさも相まって、さまざまなメディアで取り上げられ、注目を集めることになったが、一般消費者の認知度はなかなか高まらなかった。しかし、日経新聞での報道をきっかけに、さまざまな企業から問い合わせが増え、その流れでスマートホーム専業のジョイントベンチャー「Connected Design」を設立することになった。当時、ジョイントベンチャー設立の準備室が社内に立ち上がり、その推進役を任されたが、まさか自分が代表取締役を務めることになるとは思っていなかった。

人生で2度目の代表取締役という役割を担うことになり、前回と肩書きだけとは異なる大きな期待を背負っていたため、気持ちを切り替え、最強のチームを作る決意をした。そこで、かつての優秀な後輩たちを集め、ジョイントベンチャーをともに設立したニフティからも優秀な人材をアサインしてもらい、怒涛のようにソフトウェアを使った新たなサービスを次々と打ち出していった。

この優秀なチームは、今では当たり前になっているが、当時は誰も手をつけていなかったスマートロックの時限キー発行システムや、LINEを使って家と対話しながらスマートホームを操作する仕組みなど、画期的なサービスを次々に世に送り出した。しかし、市場の認知度はなかなか上がらず、毎日「スマートホームとは何か」「スマートロックとは何か」を説明し続ける日々が続いた。説明のたびに「面白いですね! でも月額料金がかかるんですか? うーん」という反応を何度も耳にした(その気持ちは理解できる、と思いながら)。

スマートホームの事業に関わってからほぼ毎月のように海外と日本を行き来する今のスタイルが本格的にがスタートしたが、Connected Designの代表取締役という立場を背負ってから特に海外企業と渡り合っていくためのプレゼンや交渉能力が徐々についていき、苦手だった英語を使った会食なども少しずつ慣れていったことは今のキャリア形成にとても役に立った。

そんな中、日本でもスマートスピーカーが発売されるようになり、少しずつではあるがスマートホームに取り組む企業が増えていった。アメリカではすでにスマートホームが産業として成長し、参入するプレイヤーも増え、認知度と普及率も高まっていた。それを見て「日本でもプレイヤーが増えれば市場が形成できるかもしれない」と考え、独立してスマートホーム業界のプレイヤーを増やそうと決意した。

しかし、独立はそう簡単ではなく、最終的には当時立ち上がったばかりのアクセルラボに、またもや眞田とともに取締役として参画することを決めた。1年ちょっとかかったが、これまでのノウハウを活かし、SpaceCoreというスマートホームサービスを開始することができた。日本でもようやくスマートホームに対する期待が高まっており、SpaceCoreも注目を集めたが、「もっとプレイヤーが増えないと本格的な市場形成は難しい」という想いも抱きつづけていた。

ライフステージ4 : X-HEMISTRYの船出

その想いが自分の中で飽和状態に達し、満を持してX-HEMISTRYの設立を決断した。

スマートホームというサービスは、モノとモノが繋がることで掛け算のようにできることが増え、単独の企業では事業を成立させるのが難しい。企業間の協業によってこそ成り立つ事業だと感じていたので、「化学反応」というキーワードが浮かび、「ケミストリー」という社名を思いついた。ところが、すでにその名前を使って活動している有名なデュオがいることに気づき、むしろ2人で起業するならその名前に便乗しよう、 という発想になり、「C」を「掛け合わせ」という意味を込めて「X」に変更し、X-HEMISTRYが誕生した。

起業に対する不安はあったものの、この5年間でスマートホーム業界では私の名前を知っている人が増えていたこともあり、アドバイザー的な契約をいくつか結べれば、眞田と2人なら何とか食べていけるだろう、という見通しでスタートを切った。ところが、立ち上げ当初はいきなり自己資本金を食い潰す展開になり、「これはやばいかも」と感じた瞬間もあった。しかし、私たちを知ってくれている企業からの温かい支援として仕事をいただき、何とか首の皮一枚で事業を立ち上げることができた。リスクを背負ってでの企業だったため、前職から報酬は大幅に減ったものの、日々の仕事に楽しさと満足感を感じながら進めていた。

知っている企業から仕事を得るために開いた会食で、わずか「2万円」の会計をうちで負担するという決断をしたときのキリキリした気持ちは、今でも忘れられない(笑)。そんな中、少しずつではあるが2人だけでは回らなくなり、眞田とともに社員を雇うという大きな決断をすることになった。2人だけなら失敗しても会社を清算すれば済むと思っていただけに、簡単な決断ではなかったが、万が一社員が必要になったら小澤くんに声をかけよう、と最初から2人で決めていた。

当時、小澤くんの連絡先がわからなくなっていたが、知人から連絡先を教えてもらい、コロナ禍で再会することができた。こちらの都合でのお願いだったので、来てくれるかは不明だったが、小澤くんは快諾してくれ、X-HEMISTRYはデュオから3人チームへと転身した。今や小澤くんはX-HEMISTRYにとって欠かせない存在となり、クライアントからも絶大な信頼を得ているリーダーに成長してくれた。

小澤くんを迎えて半年ほど経ったころ、スマートホーム業界で以前から知っていた大津さんが「一緒にやりたい」と声をかけてくれた時は、正直、眞田と「こんなうちに来てくれるなんて、嬉しいけどどうしよう」となった。しかし、スマートホームに対する期待感が高まりつつあることもあり、営業機能を強化する決断をした。この決断は、これまで積極的に行ってこなかった営業活動に本格的に取り組むことを意味し、X-HEMISTRYとしての第2ステージが始まった。

その後、池袋に事務所を構えることにしたが、物件探しの際にも、当初から眞田と密かに「スマートホームだからオフィスは住宅物件にしたい」というこだわりを貫き、コロナ禍の真っ只中で素敵な新築賃貸物件を手に入れることができた。入居当初は4人で「広すぎるな」と思っていたオフィスも、今では3拠点を構えるほどの成長を遂げた。

Wantedlyでの募集や知人からの紹介もあり、数名の入社が決まり、増員によってできる仕事の幅もどんどん広がっていった。うちに興味を持って入社してくるメンバーは、個性豊かな人材が多く、社員たちからは「愉快で海賊団みたいな会社」と呼ばれるほど、スマートホームのプロ集団が形成されつつある。チームメンバーのおかげで、クライアント企業からは「スマートホーム事業検討の登竜門」「スマートホームのよろず相談窓口」と評され、業界における地位を確立している。

そんな海賊団のメンバーに興味がある方は、ぜひ下記のnoteを参照してください。


社員インタビュー|X-HEMISTRY inc.|note
X-HEMISTRYの社員を紹介します。
https://note.com/x_hemistry/m/m3b886a22cc2a

特に資金調達や融資も受けていないし、上場を目指すつもりも急な拡大を狙っているわけでもないが、今後も日本のスマートホーム業界を牽引しつつ、チームの強化と楽しい職場づくりに努めていきたい。

日本のスマートホーム業界がいよいよ幕を開けた感があるので、スマートホーム海賊団への参画を歓迎します!








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