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U-25編集者から未経験で「採用広報」へ。入社4ヶ月目で振り返ってみた【前編】

同じチームなのに、歓迎会もしてないよね。

 こんな話からインタビューは始まった。2月17日に入社した彼とオフィスで顔を合わせたのは2週間だけ。3月からリモートワークにシフトするためにバタバタしてタイミングを逸したままなのだった。採用広報担当としてお願いする仕事を初週に伝えきり、「来週からはお互い自走で!」と言ってから完全に別々の業務で突っ走ってきた。
 ひと息ついて話して分かった、未経験から自走した若手の想いをお伝えしたいと思います。(聞き手はPR /マーケティング担当・木村)

「もしかすると一部から”反感”はあるかもしれませんが、恐れず、今あるがままを話しました。こんなのがインヴェンティットの採用担当や社員紹介記事の執筆などしていることを少しでも知っていただけたら幸いです」(荒井、トップ写真は左から4番目)

25歳5ヶ月、未経験から採用広報へ

ーー採用広報になる前はどんな仕事を?
マラソンに関わるあらゆることをとにかくやる会社でした。ランニングイベントのコンサルティングや運営、タイム計測、ランナーのポータルサイト運営、そして屋台骨のランニング専門誌の編集と発行。僕は2017年に新卒で入った時は総務人事部に配属され、半年ほど庶務全般をやっていました。社員のPCやケータイ、ルーターを管理したり、保守の業者を対応するとかですね。
それから、もとより希望していたランニング雑誌の編集部に異動しました。それはそれはやりがいがありましたが、大学までやってきた陸上競技に似た感覚でした。毎月初旬の校了がゴール。毎号発刊するたびに、それで終わり。出したばかりの雑誌がバックナンバーになり「話題」が掘り返されることもあるけど、それはだいぶ後になってから。

ーーどうして転職することに?
雑誌編集と広報は全く別物かもしれませんが、「何かについて、代理で、情報発信する」点では共通していると思っています。それは、雑誌編集時代に毎週たくさんのニュースリリースを受け取る側だったのですが、個人的な興味だけで取材はできな(取り上げられな)かったんですね。ちょっともどかしい思いがあったと同時に、代理という立場で、会社だったりサービス、イベントについてこんなに熱量持ってPR できるって素直にすごいなと思いました。ちょうど1年前くらいに興味が湧いて、昨年の11月に具体的に動いたんです。

それと、たった2年間で自分の血肉にできたことはごく一滴くらいしかないかもしれないけど、編集に関するスキルを生かして別のフィールドでしゃにむに働いてみたいと思った。それこそ、高校生の時から体育会系のフィールドにずっといましたので、僕のことを全く知らないや僕の中の知識も何もないところに飛び込んで、新しい人間関係を築いてみたかったんです。こればかりは話すことはできても一貫性がなくて急に、ふと、好奇心です。決心がついたのは去年の11月、夜の11時頃、雑誌の校了間際で退社が遅くなり、会社から7.8kmを走って帰っていた時のことですね。


ーー自身のキャリアに思うことがあったんですね。前職の経験を詳しく教えてくれますか?
雑誌編集では誌面企画の立案や取材、インタビュー、誌面レイアウト作成、カメラマンやデザイナーのディレクション、そして校了業務など、出版に関する業務を幅広く経験できました。あと、市民ランナーとの飲み会の幹事(笑)。
市民ランナーの方は普段は働いている人たちなので、取材は特に夜の時間帯が多かったです。ランニングに関する事、そうではない事、いろんな話を聞きました。業務としてアウトプットが必須でしたので、全部ひっくるめて勉強になりました。私からすれば20歳上とか親世代でもおかしくないですが、今でもSNSで繋がって仲良くしていただいています。「ここをやめたって人間関係がゼロになるわけじゃない」と思えたのも後押ししました。

富士山頂でレース完走者にインタビューをした際の写真。40人に話しかけ15人くらい話が聞けた。8月なのに気温10数度しかなくて寒かった(写真右が荒井)


ーーランナーとしての経験が活きてますね。それでも業界を離れようと決意されたきっかけはなんだったのでしょうか?
大学でも専門的に学んできましたし、普段からもよく考えていることですが、スポーツの「効用」は絶対ではなくて、数あるレジャーや趣味の一つ、”ワンオブゼム”です。市民ランナーの大多数は、日常の中でランニングが全てではありません(もちろん、熱中する人は好きが故にランニング中心の生活にしようとします)。あくまで趣味としてのマラソンやランニングの時間を「作っている」。心から尊敬できました。市民ランナーへの取材やイベントを通じて相手にする中で、スポーツを主で生きているわけではない、世の大多数の方たちの世界を知りたいと思いました。
彼らの平日(もちろん土日でも)日中はオフィスワーカーだったり大学の研究者、飲食店の店主、アパレル店員、あるいは経営者だったりする。幸いにも僕はそういう方々に、真っ向から話を聞く機会をたくさん得られました。そこで知ったものがあまりにも膨れ上がりすぎて、思い切って辞めてしまおうと思ったんですね。僕は、大学まで続けてきた陸上競技を通じて、なんとなく好きな仕事としてやっている感じがありました。無鉄砲だけど、25歳だし第2新卒としてどこでもやれるだろうと思いながら、退職しました。

最終出社日の社長夫妻からの声

前職の最終出社日、70歳を超えた社長夫妻に挨拶しに行きました。別々に行きましたがどちらも「まだ25でしょ、なんでもやれるじゃん。頑張れ」と口にしました。僕は新卒で入れてもらってミスもたくさんしました。面白い企画を考えて誌面にすることもできなかった。成し遂げたことも何もない。最後に恨み節の一つ二つはもらうかと思ってビクビクしていたんですけど、この言葉をもらって拍子抜けしました。現場ではいろいろと厳しい人だけど、この言葉は温かくて、これを胸に頑張ろうと思えました。ここには「お前はここではやれなかった」と見限られたニュアンスもあったかもしれないですけれど、まあ。


ーー素敵なトップですね。期待されていたのでは...
正直なことを言うと、僕は雑誌編集の現場についていけなかったんです。陸上競技といっても専門は短距離でしたので、長距離走〜マラソンは知らないことばかり。2〜3ヶ月に一度はマラソン(5km〜フルマラソン)を走って知識と経験をためながらやっていたつもりですが、第一線で力になれない実感がありました。原稿は遅いし、ビジネススキルもあるわけじゃない。誌面のタイアップ広告のレイアウトもこれといった光るものを作れない。これは「負けだ」と思って、好きだけではやっていけないことを痛感しました。「挫折」とかではなく、僕はこれを社会学の研究者の言葉を借りて「降りた」という表現を使っています。「折れた」ら物理的に元には戻らないけど、「降りた」ら「上る」ことはできます。これは僕の勝手な解釈ですけど、好きで使っています。

それと、「今でしょ」で有名な林修先生もTVで言っていたり本にも書いています。やりたくてできる領域で活躍できるのは最高、でもそこで踏みとどまっている人はごく少数。大概の人は「本当はやりたくないけど、できる」フィールドで頑張ることが大事だと。それは自分の中でのメンタリズムもそうだし、マーケット的な考え方としても重宝されるからだそうです。進んでやりたい人がいない領域で頑張れば需要は高い、と。


ーーインヴェンティットを選んだ決め手は?

きれいごとに聞こえるかもしれませんが、25歳のペーペーなので全て水に流してください。
理由は、社長直下で企業経営について学べると思ったからです。それに加えて興味のあった採用と広報を任せてもらえる。それこそ求人サイトに書かれた「採用は営業であり、広報だ」という甘い言葉に誘われて、意を決して話を聞きにきました。
それに、こういったら読者には伝わらないかもしれませんが、面談で代表がこんな25歳の何も知らない僕に対して真摯に話してくださったのが嬉しかったんですよね。採用も広報も経験はありませんでしたし、文を書くことについて上手くはないけど、プレスリリースや採用サイトの言葉一つ選ぶことを「やらせてもらえそう」だったので「なんでもやります!」と言いました。面談後のメッセージでも「目一杯勉強しますので、どうかお願いします」って伝えました。未経験の業界で頑張らせてもらえるフィールドがあるなら、僕にとってお願いしない理由はなかったです。

(後編に続く)


荒井将徳(あらいまさのり) 社長室/採用・広報担当(2020年2月入社)
4月からリモートワーク を開始し、現在は週に1、2回出社。自宅ではWeb会議がなければ40分おきにストレッチか筋トレ、バットで素振りをする。自宅での作業中にかけたいクラシック音楽は「英雄ポロネーズ」と「乙女の祈り」。スポーツ歴は軟式野球が6年、陸上競技が6年。マラソンは3年目。本が好き。1994年生、山形県出身。

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