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「ニュータイプの時代」で生産性重視はもはや古いのかもしれない

オートメーションラボが取り組む請求書の自動化では、業務を80%削減できるという結果が確認されています。こういった業務効率化に代表されるデジタルへの移行はコロナの影響もあり今様々な業界や多くの業務で加速度的に進んでいます。今後ますます定型的な作業から解放され、それと引き換えに時間を手にすることが出来るようになるでしょう。手に入れた時間で代わりに行うのは「生産的な仕事」となるのでしょうが、何気なく使われるその「生産性」ついてベストセラーである「ニュータイプの時代」(著者:山口周)を参考にして改めて考えていきたいと思います。

そもそも生産性の定義とは

そもそも「生産性」とは、改めて定義を確認すると、投入したもの(=インプット)に対して、どれだけの成果物を生み出したか(=アウトプット)の比率で表されるものと決まっています。

生産性=投入(インプット)÷成果物(アウトプット)

文字通り、少ない労働時間で大きな成果を上げる人、そのような人が生産性の高い仕事をする人ということですね。日本は以前から世界的にみて生産性が低いと言われていますが、それは日本人1人当たりの GDP(国内総生産)が世界26位であり、労働時間は突出して長いのにそれに見合うだけのアウトプットを出せていないということを意味しています。



効率よくアウトプットを出せばいいのか?!

では、例えば今抱えている仕事を少ない時間で2倍・3倍のスピードでこなすことが生産性の高い仕事なのでしょうか。生産性を高めるとはそういうことなのでしょうが、効率よくアウトプットを出せるものなのか、そしてそれが今の時代とマッチしているのかピンと来ません。

というのも、モノが不足していたり不便だった時代においては、切羽詰まって解決しないといけない仕事が山積みであったと推測できますが、現代ではもはやそのような状況ではありません。仕事を「有用なモノを作る」あるいは「重要な課題を解決する」とした場合、すでに便利なモノが溢れ何不自由なく生活が送ることができているからです。それにも関わらず、現代人は今だに100年前と同じ時間だけ仕事をしてます。では、一体何の仕事をしていて、何を生み出しているのでしょう。「ニュータイプの時代」では、今、世の中に溢れている仕事について下記のように考察していました。

大多数の人々は、自分の仕事が社会になんの価値ももたらしていない、と感じていることがわかっています。(中略)結論から言えば、私たちの多くは実質的な価値や意味を生み出すことのない「クソ仕事」に携わっている、ということになります。労働に関する需要が減少しているにもかかわらず、労働の供給量が変わらないために、本来的な意義を有さず、社会にとって意味のないクソ仕事に多くの人が携わって生きていかざるを得ない、というのが現在の社会なのです。

自分が今やっている仕事をそう表現されるとあまりいい気持ちはしませんが・・・、少なくとも有用なものを生産するという点においては昔より生み出すのが難しい時代になった、ということには同意できます。



生産性ではなく偶然性を取り入れる

現代社会はVUCA化されている言われています。(V=Volatile(不安定)、U=Uncertain(不確実)、C=Complex(複雑)、A=Ambiguous(曖昧))今までの経験で見通せることは少なくなり、さらに予測も難しい時代になりました。これは今まさに私達が実感できることですね。一体、世界の誰がコロナを予測できたでしょうか。コンピューターの精度が上がっているし、人の経験値もずっと高いはずなのに、AIも人間も未来を予測することが本当に難しいのだということを身を以て感じました。

では、今後が予測できないとすると、「偶然」に頼るしかないのかもしれません。実際に自然界では偶然に起こるエラーから進化してきたと言われています。本ではアリを研究対象にした興味深い例を紹介していました。

六角形を多数つないだ平面空間を、エサを見つけると仲間をフェロモンで誘引するアリAが移動するように設定し、Aを追尾する他の働きアリには、Aのフェロモンを100%間違いなく追尾できるマジメアリと、一定の確率で左右どちらかのコマに間違えて進んでしまうマヌケアリをある割合で混ぜ、マヌケアリの混合率の違いによってエサの持ち帰り効率がどう変化するかを調べました。
するとどうしたことか、完全にAを追尾するマジメアリだけのコロニーよりも、間違えたり寄り道したりするマヌケアリがある程度存在する場合のほうが、エサの持ち帰り効率は中長期的には高まることがわかりました。
つまり、アリAが最初につけたフェロモンのルートが、必ずしも最短ルートでなかった場合、マヌケアリが適度(?)に寄り道したり道を間違えたりする、つまりエラーを起こすことで、偶然に最短ルートが発見され、他のアリもその最短ルートを使うようになる、結果的に「短期的な非効率」が「中長期的な高効率」につながる、ということです。



「偶然」を「生産的」に生み出すには、どうすればいいのか。偶然性を仕組みとして取り入れている企業はいくつかすでにあるようです。

たとえば代表的な会社が3Mです。3Mが研究職に対してその労働時間の15%を自由な研究に投下していいというルールを持っていることはよく知られています。これだけ聞けば「随分と自由奔放な会社なんだな」と思われるかもしれませんが、一方で、同社では過去3年以内にリリースした新商品が売上高の一定比率を上回っていなければいけないという厳しい規律を管理職に課してもいます。
つまり、同社では厳しい「規律」=「常に新しい商品が生み出され続けること」を実現するために、戦略的に「遊び」=「研究者はその労働時間の15%を自由に使って構わない」を盛り込んでいるわけです。
これはグーグルなどにも同様に採用されている仕組みですが、次々と新しいサービスや新商品を生み出す企業では、仕組みや程度は異なるものの、この「規律」と「遊び」のバランスが絶妙なのです。
(中略)人的労働資源の15%を経営がコントロールせず、現場での偶発的なアイデアに自由に投下させているということになります。コントロールする領域に意図的に遊びを設けて、偶然が入り込む余地を設けているわけです。

プライベートな時間に好きなことにギュッと集中して、その後ゆるめると急に仕事に関する新しいアイデアが思いつく、なんていう経験はありませんか?私の場合は、ミーティング後に散歩するとなぜか色々浮かんできたりします。先が見通せない時代に、コンピューターではなく第六感に頼るというのはある意味皮肉かもしれません。しかしそういったことが会社として仕組み化されていれば、目下の仕事の生産性を高めるだけでなく、長期的な成長のための偶然性を取り入れることができるのでしょう。

「偶然」にもっと効率的な新しいルートを発見すれば、生産性は飛躍的に高まることになります。短期的な生産性を高めるためにはエラーも遊びも排除して、ひたすらに生産性を高めるために頑張るのが得策かもしれませんが、そのようなことを続けていれば中長期的な視点で飛躍的に生産性を高めるための偶然の発見はもたらされないということです。いたずらに短期的な生産性だけを求めるのはオールドタイプの思考様式だと断じるしかありません。

業務効率化で浮いた時間を有効的にどこに使うかは企業それぞれです。よく言われる生産性のある仕事に使いましょう、という文句。その生産性のある仕事とはその企業にとってはどこを指すのか、そしてさらに一歩進んで偶然性も取り入れるにはどうすればいいのかも、同時に考えていく必要がありそうです。

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