「レッドブルが翼を授けるまで」— 禁じ手だらけのマーケティング戦略
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今や世界的なエナジードリンクの代名詞となったレッドブルだが、最初から順風満帆だったわけではない。
1987年、創業者ディートリッヒ・マテシッツがタイの栄養ドリンクを参考にレッドブルを開発したとき、市場の反応は最悪だった。
「高すぎる」「味が薬っぽい」「こんな小さい缶に価値はない」と酷評の嵐。}
しかし、彼は従来の「広く売る」という発想を捨て「特定の層に徹底的に刺さる」マーケティングを展開した。
まず狙ったのは大学生とクラブカルチャー。
普通の飲料メーカーなら大規模広告やスーパーでの販促を考えるが、レッドブルは「希少性」を演出するため、あえて流通量を絞り、最初は一部の大学やナイトクラブにだけ無料配布した。
「なんだこれ?」「どこで買えるの?」と口コミが広がり「知る人ぞ知るドリンク」としてステータス化。さらに、大学生をブランド大使に採用し彼らにレッドブルのロゴが入った車でキャンパスを回らせた。
この「若者が自分たちでブランドを広める」仕組みが、爆発的な認知度アップに繋がる。
次に打った手が、今では伝説の「レッドブル・エアレース」や「フリースタイルモトクロス」など、極限スポーツへの異常なほどの投資。
なぜなら、エナジードリンク市場には当時ライバルが少なく、広告が直接「刺激的なライフスタイル」と結びつく余地があったからだ。
広告の多くは「商品を売る」ものだが、レッドブルは「ブランドの世界観を売る」という戦略を徹底した。スポーツだけでなく、宇宙からのスカイダイビング「レッドブル・ストラトス」まで実施し「レッドブルは単なる飲み物ではなく、挑戦の象徴」として定着させた。
価格競争に巻き込まれることなく、ライバルとは異なる道を進んだ結果、今では世界170カ国以上で年間100億本以上が売れるブランドに成長。
学べるのは、「売り方の常識に縛られず、ブランドの物語を作り上げることで、商品そのものにプレミアムな価値を持たせる」こと。
消費者は、ただのドリンクを買うのではなく、「レッドブルが提供する世界観」を買っているのだ。