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現状に「小さな違和感」を覚えながら生きていた昔の自分に送りたいたった1つのメッセージ

はじめまして!
1991年生まれの29歳、神奈川県小田原市出身の矢口 大輔と申します!


現在は、新卒ファーストキャリア支援サービスのintee事業部にてCS(カスタマーサクセス)チームのリーダーを務めさせていただいています。

入社したのはコロナ禍真っ只中の2020年10月、この記事を書いている時点で入社半年ちょっとが経過しているところです。
この半年間は本当にあっという間で、まさに「瞬きしたら終わってた👀」という感覚です(笑)いわゆる没入感ってやつですね!

そして何より、ベンチャーで過ごす半年は本当に変化が多く、毎日が刺激的。
ぼくが入社をしてからの半年間で変わった点は、ざっと書いただけでも以下の通り。

①社員数:入社当初は約50名 → 4月時点で約80名
②事業数:新たに1つ誕生。新事業のタネも社内に多数存在。
③フロア:社員数増加に伴い、2021年4月に増床。
④働き方:リモートワークの導入に伴う制度変更

これだけの変化をたった半年でぼくは経験出来たわけですが、ここにたどり着くまでには多少の紆余曲折がございます。
ここでは、自身の現状に対して「なんか違う気がする…」というモヤモヤを抱えながら毎日を過ごしていた自分に向けてメッセージを送りたいと思います。
そのメッセージが、正体が掴めない皆さんのモヤモヤ解消に一役買えれば幸いです。

自分の中に何か「モヤっ」としたものを抱えている方には是非読んでいただきたいです!

それではいきましょう。

<アジェンダ>
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01.そもそもおまえは誰なのだ?
02.ぼくの人生に大きな影響を与えた小さな出来事
03.「自分で決める」ことが与える心の充足と没入感
04.昔の自分に送りたいたった1つのメッセージ
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01.そもそもおまえは誰なのだ?

まずはぼくの生い立ちから現在までを簡単にまとめます。

・誕生日は1991年7月26日。(矢口家の長男としてこの世に生を受けました。)
・出身は神奈川県小田原市。
・父親は会社経営者、母親は薬剤師。6歳下に体重130kgの弟がいます。(昔は超絶可愛かった。時の流れは恐ろしい。)

幼い頃は「超」がつくほどの人見知りで引っ込み思案。加えて泣き虫で、先生からするとものすごく面倒な子供だったと思います。

小学1年生になると弟が誕生、そして溺愛。この頃からとにかく年下の子の面倒をみるのが大好きになります。そして小学4年生からソフトボールを始め、中学では軟式野球部、高校では硬式野球部に入部し気が付けば地元の公立小田原高校を卒業。

大学は明治学院大学へ進学し、塾講師のアルバイトに没頭します。担当していた生徒からは「ホントに大学生?塾の先生が大学生をオマケでやってるみたい(笑)」と言われるくらい塾に住みついていました。

その後、就職活動を経て新宿の人事コンサル企業に新卒で入社。2年半後に退職し、設立4年目の事業会社(営業会社)に営業職として転職。入社半年で社内1位を獲得し昇格、No.2として新拠点の展開なども経験した後、社内初の人事部門立ち上げを経験し採用責任者へ。

そのポジションで約3年半を過ごし、Hajimariへ入社という流れになります。

中学校の時に腰の怪我をして満足に部活が出来ない身体になったり、大学入試本番4日前に父方の祖母が亡くなりその葬儀でバタバタしたり、就活が終わったと同時に父親の会社が倒産し家族離散の危機&実家を売り払うことになったり、母方の祖母が認知症を発症し家族全員が疲弊したり…

まぁ色々な出来事にも直面してきましたが、それなりに順風満帆な人生を歩んで来ることが出来たと思っています。(この年齢になると本当に両親への感謝が大きくなっていきますね、ホントに。)

そんなぼくの人生ですが、ぼくの価値観(思考)が決定的に定まった出来事について次の章でお話させてください。

02.ぼくの人生に大きな影響を与えた小さな出来事

皆さんも自己分析ってされますよね?就活や転職活動の際には必ずと言っていいほど耳にするものだと思います。もちろん、ぼくもやりました。
そして見えてきたのは本当に些細な、しかしぼくの中では鮮明に残っている出来事です。

時は小学4年生。
その時のやぐち少年は水泳と公文しか習い事をしておらず、毎日をのほほんと過ごしていました。そんな折、周囲の友人たちが少しずつ地元のクラブチームに入ってスポーツに打ち込み始めます。
優しい友人たちはぼくにも声をかけてくれました。誘ってもらえたのは5つ。
 
 ①ソフトボール
 ②軟式野球
 ③バスケットボール
 ④サッカー
 ⑤ドッジボール

親に相談し、まずはソフトボールから見学に行こうということになりました。見学の連絡を親に入れてもらい、当日父親と一緒に練習へ参加します。
グローブなど手にはめたこともなく、辿々しいながらも楽しく過ごすことが出来ました。そして見学が終わって帰る間際、監督さんへご挨拶。

「本日はありがとうございました。」と。
そしてその直後、父親からオドロキの一言。

「息子をここに入団させますので、これからも宜しくお願い致します!」

…ん??

…ん!?

こうしてぼくはそのソフトボールチームへの入団が決まったのでした。

見学終了後、父親に相談します。
「まだ見学にいく約束をしてるのが4つあるんだけど…」と。

父は言います。
「もう決めちゃったから、ごめん!と言っときなさい。」
「…はい」

小さいながらも企業の経営者として腕を奮っていた父親。年に数回開かれるイベントにも社長家族として参加し、自分よりいくつも歳を重ねた大人が自分の父に頭を下げている…。

「そうか、自分の父親はすごい人なんだ」と幼いながらも感じていましたし、そんな父親の言うことに対して「No!」と意思表示する勇気は、当時のぼくにはありませんでした。

そしてぼくは、これからの約9年を野球に費やすこととなります。

結果としてそのソフトボールチームは僕らの代で、チーム初の県大会ベスト8を達成し、歴代最高のチームとなります。ぼくもスタメンで主力を任せてもらい、県の選抜チームからもお声をかけていただきました。
今でもぼくの中で色褪せることのない、大きな達成感を感じ取ることの出来た瞬間です。

ぼくはこの出来事を通じて何を得たのか。それは「やったら出来る」という自信、高い自己肯定感。
それと同時に「自分のやりたいという気持ちよりも、人(父親)の言うことを聞くことが自分にとっての正解」だというマインドが生まれます。

そう、この時点でぼくは「自分のやりたいことを発信すること」と「自分の頭で考える」ことを放棄したのでした。

「一度始めたのなら、最後までやり抜くものだ」
「はい」
「野球は高校野球までやるものだ」
「はい」

いま考えたらすぐに分かるくらいの完全な思考停止状態です。怪我をして「もう満足に部活は出来ないかもよ」と言われても辞めなかったのは、父親の教え(期待)にただただ応えたかったのだろうなと思います。

怪我をしても投げ出さずに何とか野球にしがみつき続けた小学校〜高校までの9年間、たくさんの成功体験を積むことが出来ましたし、大きな達成感を味わうことも出来ました。ものすごく貴重な経験だったことは間違いありません。

しかし、心のどこかにずっと残っているしこり。
この正体はおそらく「自分で決めた道ではない」という気持ちなのではないかなと思います。

03.「自分で決める」ことが与える心の充足と没入感

ぼくがこの「人(世間)の意見や考えを鵜呑みにせず、自分で考えて決めることが大事なのだ」という考えに出会ったのは大学の塾講師のアルバイトです。このアルバイトでの経験は、ぼく自身のキャリア形成においても本当に大きな原体験となっています。

ある生徒さんを担当させていただいていた際に、先輩講師が作成したカリキュラムに則って授業を行っていたら、室長から呼び出しが。

「このカリキュラム通りにやったら目標としている成績に届くと思う?」
「自分で、もしカリキュラムを作るとしたら今日この分野の授業をする?宿題はこの量を出す?」
「人の作ったレールの上を何も考えずに乗っているだけだったら、それは仕事じゃない。」
「思考停止のまま授業をするなら任せられない。」
「自分が正しいと思う道を考えて実行しないと成長はない。成長意欲のない人には仕事を振らない。」

ガツンときました。

そうか。自分で考えて、自分が正解だと思うものを表現してもいいのか。

社会で求められているのは、自分が正解だと思えるものを考え決断し、それを正解にしていくためにひたむきに努力した上で結果を出すことなのか。

与えられた課題に対して正解を確実に出していくのではなく、目標を自ら定義し、達成からの逆算をした際に課題になり得るものを洗い出す。そして、その最深部にまで入り込んで自らの手で正解までの式を作り込み、周囲の力を借りながら正解を作り出していくこと、これが仕事なのだよと教えてくれた当時の室長には頭が上がりません。

この思考を与えてもらってからというもの、仕事の見え方は本当に大きく変わりました。「ぼくはこう思う」ということを伝えること(もちろん言い方は大事)や、自らが決めた道を正解にするためにはどうすればよいか、どう行動していくべきかを自然と考えるようになり、気がつけば仕事のことを考える時間が長くなり、アウトプットの回数が増えていきました。

アウトプットの回数を増やすことで自然とその質は向上、高い成果も出てくるようになりました。最後の1年は新校舎の立ち上げに2回も関わらせていただき、1週間で3つの教室を移動しながら生徒と講師を同時にマネジメントしていくという経験もさせていただきました。

ぼくの大学生活はアルバイトをガッツリやり込んでいたため、学業や就活との両立で苦しんだこともありましたし、終始忙しない大学生活だったなと思いますが、それ以上に大きな充実感と達成感、満足感があります。それこそ「大学時代はどんなことを?」と質問されたら、いつまでも話続けられるくらい。

就活ではベンチャー企業のみにエントリー。教育に関わっていたこともあり、人材教育やコンサル業界が中心となりました。ぼくの時は、3年生の12月からエントリー開始ということもあり、生徒の受験期とガッツリ被ってしまい、就活にあてられる時間は3時間/日もなかったのですが、アルバイトの話を評価していただくことも多く、結果として就活期間はピッタリ3ヶ月で終了。

「自分で考え、自分で決める」という思考がぼくの人生に与えたインパクトの大きさは計り知れません。

04.昔の自分に送りたいたった1つのメッセージ

最後まで読み進めていただき、本当にありがとうございました。ここまで読んでいただいた方であれば、なぜぼくがHajimariという企業に入社を決めたのかももう分かるのではないでしょうか?

そう、Hajimariの掲げる「自立した人材を増やし、人生の幸福度を高める」というビジョンが、まさにぼくの掲げている「自分で道を選択し、その道を正解にする」という自己理念と合致したからです。

高校時代までのぼくは、人(世間)の決めた正解(枠組み)の中で「如何に模範的な自分であろうとするか」だけを考えてきました。「自分らしさ」であったり「自分の意見」などは二の次、如何にその枠組みの中で輝くか。それこそが自分らしさだ、と半ば自己暗示のようなものをかけていたように思います。

ただ、そうではなかった。

月並みな表現になってしまいますが、「自分の人生の主導権を絶対に自分以外のものに渡さない」ということが、どれだけ自分の心を満たし、本来の自分らしさを引き出してくれるか。

「人に委ねてきた人生」と「自ら決断してきた人生」の両方を知っているからこそ、声を大にして言いたい。

「自分の人生の主導権を自分以外のものに委ねるな。自分で考えて、自分が正しいと思うものを選択し、決断しろ」と。

なぜHajimariにいる人間は、大手よりも福利厚生も年収も保証されていないのに、ここまで生き生きしているのか。ぼくは「自分で決めているから」だと思います。誰かに決められてその場所にいる人がいないからです。

自分で決めたことが、時として周囲(世間)の考えと大きくズレることもあるでしょう。そのズレこそぼくは個性だと思いますし、そこを個性だと捉えるのがベンチャーのいいところです。

異端であることはこれまでの日本において、美徳とはされてきませんでした。決断をしていく中では、もしかしたら親御さんであったり、先生であったり、同級生であったり、ネットの意見であったりはあなたの考えを否定してくるかも知れません。

ただそれは、あくまでも外野の意見です。最終的にそれをどう解釈し、どう行動に移すかは自分次第。

Hajimariには、自分の人生を自分で描いていこうとしている仲間がたくさんいます!時には本気でぶつかり、時には互いに支え合いながら、社員同士がお互いに最大限の尊敬と感謝の気持ちを持って日々の業務と向き合っています。

ぼくがぼく自身に向けたこの文章で何かを感じていただけた方がいれば、是非Hajimariに遊びに来てください!

素敵な仲間たちとともに、皆さんをお待ちしています!最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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